top of page
  • 執筆者の写真しんごぉ↑↑

「宝島」配信スタート

どうも、最近は歌やイベントよりも

パパの投稿が多くなっている。


しんごぉ↑↑です。


という事で、久しぶりに音楽の投稿を!!(笑)


新曲を配信する事になりました!!

その名も


「宝島」



この曲は僕のおじい、おばあとの体験を元に書いた曲です。

曲自体は去年から出来ていたんですが、音源製作には思ったより

時間がかかりました。



僕は小さい頃、おじいとおばあと住んでいました。

家にいる時の印象は、良く痴話げんかをしている。


明るい陽気なちょっと抜けているおじい。

世話好きで几帳面なおばあ。


そんな二人でした。


東京に行っていたおじいは戦争がきっかけで

沖縄に帰ってきた。

東京のうちは焼かれたとおばあから話を聞いた。


沖縄に帰ってきてから、


「なんでもしたよ」と笑いながらお嬢様育ちのおばあは話していた。


だからかな。

年を取っても喧嘩してても文句言いながらも一緒に居たのでしょう。


おじいの抜けてるところがおばあは気になり

注意して、おじいは怒る(拗ねるに近いか)


「もーだらしないんだから」と話すおばあ。


二人とも元気でおばあも庭で畑仕事などをしてとても元気。

元気な年寄りだから痴話げんかは良く起きた。


それがまさかのおじいの突然の死。


誰もがすぐには受け入れらなかった。

棺を火葬しようとした時。

あんなに喧嘩していた、おばあが棺にしがみつき泣き崩れていた。


その光景が今でも忘れられない。


おじいが亡くなってから、おばあは急に元気が無くなった。

体も弱くなると気も弱くなり、うつ病も発症した。


「淋しいね」

「1人で生きて良いのかね」


と。


時には


「しんご、早く死にたい」


と言われたこともあった。


家族、親戚のおかげとおばあの異変に早めに気付いたのもあり

うつ病は改善して行った。


精神的には良くなったものの、体が弱くなり、転んだりして

入退院を繰り返した。

入院時、1人ではリハビリをしたがらないので

リハビリの日に休みや早番にしてもらい付き合った。

一緒に作った籠はいまだに持っている。


病室でも、良く昔話を聞かせてくれた。

毎日喧嘩していたことが恐らく二人が元気でいられた

秘訣なのかもしれない。


そして、その時が来た。

おばあに家寄って良いか?と電話した


「今日は調子が悪いから来週来てね」


と言われたので


「ぢゃ、また。」


と切ったのが最後。

その後、救急で運ばれて意識は戻らずに亡くなった。


とても後悔しました。

なんで、次があると思ったんだろうと。

友達の前で泣いたのは久しぶりだったかもしれない。


母方のおばあはおじいを早くに亡くしたが

ずっと元気でした。

が体が弱くなると入退院を繰り返し同じように

病室や老人ホームで


「おじい、早く迎えに来ないかね」

「あの頃は楽しかったねぇ」


と同じように話していた。


母方のおばあの老人ホームで歌う事もあり

おばあも聴きやすい曲が作りたいなと思い始めて三線を入れました。

出来上がりは間に合わなかった。


これも、後悔の1つです。


父方、母方も大変な時代を過ごしてきて、ツライ悲しい思いもたくさんしただろう。

たくさん涙を流した日もあったでしょう。

年を重ねるごとに、親や祖父母にも感謝する事が増えました。


僕の中にある、おじい、おばあの思い出を

書いた曲です。


長い文章最後まで読んでくれてありがとうございました。

是非、ダウンロードして聴いてくれると嬉しいです。


閲覧数:37回0件のコメント
bottom of page